続 500mlのペットボトルの話

親として

では一体500mlのペットボトルは誰に渡されたのでしょう

それは親かもしれないですし、友人かもしれません。職場の上司であったり、世間体という得体のしれないものかもしれません。とある友人は、仕事の関係で昼間から家にいるそうで近所の人の目がとても痛いと言っていました。これも一種の世間体です。

けれどもどの人たちからもペットボトルは目の前に置かれただけであり、最終的に持とうと決めたのは自分なのです。前述の友人も、視線が痛いと勝手思い込んでいるだけであり近所の人は何も思っていないかもしれません。昼間から父親が家にいるのはおかしいという思い込みが生み出したものなのです。

小さい頃に、あなたは緑のシャツが似合うと母親から言われ続けたとして、大人になった時なぜか緑の服を選んでします。自分に似合うのは緑だと思い込んでいる。こういうこともよくあることなのです。そこに違和感を感じていなければ、誰も不幸にならないのですが、ある日赤色の服を着たい!という欲望が出てきた時に、緑の服の呪縛を手放せるかどうかがポイントとなります。

小さい時に親から言われた一言というのは想像以上にのしかかるもので、親の方も子どもの幸せを願うあまりに声をかけているので余計に手放すのが難しいことになります。私の場合、よく叱られて泣いていたのですが男の子が、泣くものじゃない!!と言われた一言が足かせとなり、大人になってしばらくよっぽどのことでなければ泣けなくなっていました。映画を見て感動のシーンになっても周りの目が気になって泣くことができなかったり、6年生の担任をして卒業式を迎えた時にも、子どもたちは泣かしにかかってくれているのにも関わらず、一粒も涙が流れずなんでだろうと悩んだりもしました。

小さい頃に「男の子は泣くな!」と言われ、そうか泣いてはいけないのかとペットボトルを持ってしまったばっかりに、大人になってもしばらくそのペットボトルを手放すことができませんでした。ポイントはここで、ペットボトルを持つ選択をしたのは自分なのです。人から言われたにせよ、環境がそうであったにせよ、最終的な意思決定者は自分なのです。ということは、最終的にそれを手放すことができるのも自分だけでなのです。

もうこの思い込みはいらない。このくだらない足かせを外そう!これがあるからうまくいかないという生き方のクセを見つけたのであればそっと手放す決断をしてみてください。今までありがとう。これから自分はこういう生き方を選択します!と心に決めます。そしてあえてNGであった方を選んで行動します。赤い服が着たいのであれば、最初はザワザワするかもしれませんが、赤い服を思いっきりきてみます。人前で泣きたいのであれば、思いっきり泣いてみます(自分は天気の子を一人で観に行って、周りの人が引くぐらいずっと泣いていました)。こうやって足かせを一つずつ外して、いらないペットボトルを置いていくことが、人生を軽やかに生きていくコツになります。

もし一人では難しそうであれば、自分がお手伝いします。